UNITEDと私・・・HOWLING BULL設立のきっかけ

UNITEDというバンドは、私にとって人生を変えたバンドの一つだ。

united-1990

1990年最初に撮影したアーティスト写真、上段左から、シンゴ(G)、古井(Vo)、ハーリー(G)、前列左から、ヨコちゃん(B)、内野(D) みんな結構イケメンじゃん(笑)

 

UNITEDとの初めての出会いは神楽坂エクスプロージョンというライブハウスだった。

当時、私はとあるメタルバンドでボーカルをやっていた。そのバンドのギターは元UNITEDのハリー先輩。

18歳という人生のもっとも美しい時代に、メタルというもっとも邪悪な音楽に身を捧げていた時代だ。ピンクのメッシュを入れ、銀色のロングコートにヘビ柄のスリムジーンズに身を包み、顔の1/3を覆うデカサングラスで学内を闊歩していた...今思えば変態である。

世界で一番派手な格好で、人類最速の楽曲を作り、ハイトーンで歌う事だけに喜びを見いだしていた。モトリークルーよりケバく、メタリカよりも速い曲をプレイし、高い声を出せば絶対売れると思っていた。たぶん、頭が悪かったのだろう。

まぁ、時代はそんな混沌とした時代だった。

メタルの第一世代が終わり、新しいムーブメントがおこりつつある時代だった。当時、東京のメタルシーンを作り上げていたのが神楽坂エクスプロージョンだった。その名も「METAL FORCE」という定例企画を毎週末にやっていたのだ。だれもがその日のプレイを夢見て、日夜ノルマをさばく毎日だった。予選ライブ的なライブをこなし、客を集める事があこがれの「METAL FORCE」に出演する条件だった。そんな予選ライブ(だいたい月二回程度)のある日の対バンがUNITEDだったのだ。

ギターの人(”NINE”のアートワークをやったデザイナーのマーちゃん)がすんごいメタルオタクで、俺がどのバンドのどの曲のメロをパクっているとか見事に言い当てていた。俺も馬鹿じゃないので、結構マニアックなところからパクってきたのだが、思いっきりバレていたので聞こえないフリをしたのを覚えている。

他のメンバーはフレンドリーとか言う言葉が無縁の人たちで、ベースの人がおじさんだけどいい人だったという印象しかなかった。

じつはその「ベースのおじさん」がヨコちゃんで、後に自分と年が一つしか変わらないと知って驚いた。それがファーストコンタクトだった。

その後UNITEDは、折からのスラッシュメタルのムーブメントにのり、日本のアンスラックス的なポジションニングで人気を得る。

一方私のバンドは派手なルックスが仇となり、Yoshiki率いるエックス、Hideちゃん率いるサーベルタイガーとともに「関東三大粗大ゴミバンド」」と言われるようになるが、おそらくこの名付け親はUNITEDのメンバーだ(笑)。それほどUNITEDとの因縁は深かった。

このペースで書いてると本が一冊書けそうな文章量になりそうなので、ここからは適当にかいつまんでポイントだけを書く事にしよう。

その後、私のバンドは解散状態となり、ハリーがUNITEDに入り、ついにはシンゴも加入する事になる。ハリーは高校のときから一緒にバンドをやっていた仲だし、シンゴも小岩メタルシーンの友人だったので、これはUNITEDを「どぎゃんかせんといかん」と勝手に思い込んでいた。

当時私はバンドをリタイヤし、小さな広告代理店で働いていたが、時おりしもバブル絶頂期、エクスプロージョンで切磋琢磨していたX(現X Japan)がブレイクし始めていた時で、「自分の人生とはなんぞや〜と」一念発起。

私は会社を辞めて、スラッシュメタル専門のインディペンデントレーベルを立ち上げる事を決意し、代理店で培った適当なプレゼンでお金を集め、Howling Bullを立ち上げ、第一弾アーティストとしてUNITEDの”Bloody but Unbowed”をリリースする事となった。いわばHowling BullとはUNITEDのCDを制作するために作られたと言っても過言ではない。

UNITEDがいなければ、今の私は違う人生を歩んでいただろう。

レコーディングは上尾のサウンドクルーで一ヶ月ほど合宿しながらの制作となった。私は経費削減のため宿泊所のマンスリーマンション(構造は「太陽にほえろ」の犯人が住んでいるような外階段の2Kのボロアパート)で、毎日みんなの食事を作っていたのを思い出す...この役割は「N.O.I.Q」のレコーディングまで続く。

ミニアルバム"Beast Dominate'92"、2nd アルバム"Human Zoo"のリリースを経て、1995年にUNITEDに飛躍の年がやってくる。

ビクターとのメジャーディールを獲得し"NOIQ"をリリース、SLAYER、MACHINE HEADとの競演(この時のローディーは現ボーカリストの湯浅)。

そして、スレイヤーのマネージャーリック・セールスが海外でのマネージメントを担当し、Metal Bladeとの契約を果たす。さらに念願のアメリカでのライブをL.A.のファンデーションフォーラム(Metal業界のコンベンション)で行うのであった。

L.A.でのエクストラショーには今は亡きXのhideちゃんが来てくれたのを憶えている。

そんな順風漫歩にみえたUNITEDに悲劇が襲う、一つは帰国直後に起こったボーカル古井の脱退と、スラッシュ・メタル・ムーブメントの崩壊であった。

古井の脱退はMetal Bladeの怒りを買い(そりゃそうだ、リリース時にボーカルチェンジとかありえない)シーンの崩壊はバンドに新しい方向性を示唆する事となった。

新しいボーカルに浜松の不良だった稲津が加入し、そのルックス(長身にドレッドに刺青)も加味して、UNITEDはヘヴィーロックよりの音に傾倒していく(NU METALって感じ…)。

そしてニューアルバム「Reload」の制作が行われた。当時のレコーディングはMACHINE HEADも手がけたヴィニー(ヴィンセント・ヴァジノ)が手がけ、バジェットのないなかハリウッドにあるスタジオできゅんきゅんのスケジュールで行われた。

音源が完成したのは、私達が帰国する数時間前だった。

朝10:00の便で東京に帰るのに、レコーディング作業が片付いたのは明け方5:00ぐらいだった。終了と同時に慌てて打ち上げをし、酔っぱらったまま空港に行ったのを憶えている。

その後ヴィニーとの共同作業は “INFECTIOUS HAZARD”まで続くが、その間に伝説のドラマー“酒がらみでの武勇伝は世界一”内野の脱退(“Distorted Vision”リリース後に脱退)。

さらに “INFECTIOUS HAZARD”では、レコーディング終了時に「きりがいいので辞めます」発言で稲津が辞めるというアクシデントがバンドを襲う。

CDの発売は延期になり、ボーカルを差し替えるという大事件が勃発、その危機を湯浅が救うものの、ヨコちゃんが脳血栓で死にかけるものの、この時は無事に生き返る。

そして次のアルバム"Core"では、湯浅がレコーディング中に失踪し、再び復帰するも辞めて行く。

そんなこんなで彼らとの仕事は2005年にリリースされた「NINE」まで続いた。

ちなみに、私が彼らと一緒に仕事をした作品は、下記の通り。

  • Bloody But Unbowed (October 14, 1990)
  • Beast Dominates '92 (1992)
  • Human Zoo (September 26, 1992)
  • N.O.I.Q (February 8, 1995)
  • Reload (February 5, 1997)
  • Burst (May 2, 1997)
  • Distorted Vision (April 1999)
  • Infectious Hazard (April 4, 2001)
  • Core (August 7, 2002)
  • Nine (December 21, 2005)

彼らとの人間的な付き合いは未だに続き、2014年に急逝したヨコちゃんの葬儀も取り仕切ったり、イベントも仕切ったりとなかなか関係は深いですよ。

やはり、彼らなくして私の人生は語れません。

UNITEDに関してはいずれまた書きます。

Official page   http://www.united-official.com/pc/

wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/United_(band)

 

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